危機の大安売り症状となってきた。
書店にはこれでもかとばかりに危機の特集号や書籍が並んでいるし、メディアもここぞとばかりに政治や経済の危機を煽っている始末。
まるで狼少年が何人も現れたかのようだ。
もちろんこれら危機説には一理も二理もある。
データ類を見ても明るくなるようなものはないし、そのデータを使ってストーリーを書けば当然危機説になってしまうだろう。
しかし危機が誰の目にも明かになれば、当然回避しようと政府も関係者も努力はするだろう。
その証拠にこの数年間まるで判を押したように年初は危機説で世の中一杯になっていたではないか。
曰く「ゼネコン危機」「生保危機」「金融危機」などなど、つまり危機はこのところ年中行事になってしまっているのである。
その度に目先の対策や先送り策でしのいできたのだが、どうやら今回ばかりは絶対絶命のコーナーに追い詰められたのは確かである。
だからこそ市場はそれを先取りして下げてきたのであり、危機説が出てきたから市場が下げたのではない。
市場には先見性があり、一見不合理に見える動きをすることも多いが、後になってみれば、その不合理な動きによって何かを告げようとしていたことが判る。
だとすれば、いまの危機説の大洪水はかなりの程度相場には織り込まれつつあるのではないだろうか。
世の中にはすばしこい人がいるもので、人より先に危機の匂いを感じれば、その危機が明らかになる前に逃げているはずだし、その逆もある。
一方メディアはどうしても目先の現象を追っかけがちになるので、実際にその現象が目の前に現れてから取り上げるきらいがある。
ところが市場では誰れでも気がついた時にはもうちゃんと織り込んでいることが多いのである。
俳句に「よく見れば、なずな花咲く垣根かな」という句があるが、いまはそういう時のような気がしてならない。
世の中は危機説で一杯でさながら厳寒の冬景色となっているが、よく見れば春の訪れを告げるなずなの花が出始めていて、早晩相場はそれを織り込み始めるだろう。
アメリカ経済も回復し始めているし、半導体市況も反転の兆しがある。
ハイテクの比重の高い台湾や韓国の市場がこのところ堅調なのも、春の訪れを告げはじめているのではないだろうか。
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