ひとつひとつの行為は正しいのだが、それらがまとまると結果は飛んでもないことになる。
それを合成の誤謬というが、私は「地獄への道は小さな正義という小石で敷きつめられている」と解釈している。
債務に苦しむ企業や個人が借金を返すのには正しいし当然だし、銀行が健全化のために不良債権を処理し引当金を積むのも正しい。
そのための査定は厳格であるべきだし、検査も厳しくて当然である。
国家予算は税収と同額であるべきだし、日銀は資産の劣化を招くような行為は慎むのも当然だし、戦争より平和がいいと決まっている。
こうした将に誰も反対出来ない正論が束になって噴出しているのが、いまの日本なのである。
昔も同じでバブルは潰すべきだし、地価も下がるべきという正論で資産が暴落した。
その後の住専処理や湾岸戦争に税金を使うなんて飛んでもないという意見も正論であった。
正論通りバブルが潰れ地価が下がったのだから、その結果として発生した不良債権処理も当然だし、金融システム不安、生保不安、雇用不安も起きるべくして起きたのである。
つまり正しい行為の積み重ねがいまの惨状の原因なのである。
その結果経済の実体を映す鏡である株式市場のバブル後最安値も更新や、地価の続落も当然であり、市場が悪いわけではない。
正直に世相を反映しているだけの話である。
しかし人情としては何とも切ない。
「稼ぎに追いつく貧乏なし」どころか、営々として築いてきた生活基盤である資産が毎日減っていくのでは、稼いでも稼いでもまるでザルに水を入れるようなもの。
顔つきまで険しくなるのも当然だろう。
こうした事態から脱するには、小泉流掛け声だけの構造改革で出来るはずもない。
いま必要なことは意識改革であり、小さな正論ではなくおおきな正論なのである。
個々の責任を云々するのではなく、全国民が助かる政策を朝野を挙げて探す必要がある。
それにはまず国民を豊かにする資産市場の活性化がいちばんの近道なのだから、税制や規制を根本から見直して国民ひとりひとりが出来る限り株や土地を購入し、自分で国を救う努力が出来る政策を導入すべきだろう。
小さな正論は国を滅ぼすだけである。
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