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プロフィール
三原淳雄
 

2006年01月24日
三原 淳雄

「公」を再認識しよう
 

「官から民へ」のスローガンは結構だけど、判り易い言葉にはどうも胡散臭さが漂う。つまり短いキャッチフレーズだけで説明せずに民を煽るからである。金融システム不安の時もそうだが「国民の血税を銀行救済に使うべきではない」という言葉が黄門さまの印籠のような効果を発揮し、そのため個別の銀行の問題ばかりが大きく扱われ、肝心な最も国民にとって大切な金融システムの健全な維持、国民の最も大切な財産であるべき公的インフラが滅茶苦茶になり、結局大量の公的資金(つまりマスコミの言う国民の血税)が投入せざるを得なくなった。小さな正論は大きなコストを伴なうのである。 
 今回のライブドアの騒ぎもそうだ。堀江一派をここまでのさぼらせたのは、もちろん当人たちの資質が悪かったこともあるが、それを「脱法ではあるが違法ではない」とか「制度としては合法だ」と責任逃れに終始し、法や制度の不備をつかれるがままに許してきた関係者たちにも大きな責任があるのではないか。 
 時間外取引の限りなく灰色のケースや、新入りの個人投資家がころっと騙されるような大幅な分割を見逃し「合法だからどうしようもなかった」と後で弁解していた関係者は猛省すべきだろう。そんな甘い態度で目先の責任逃ればかりに終始していたから、結果として国民にとって最も大切な財産である証券取引所も機能がダウンし、日本はそれでも市場経済の国かと外国に笑われるのである。 
 笑われるだけならまだいい。リスクキャピタルにとって最も大切な取引所の条件は、いつでも売買出来るということであり、その最も重大な機能をと取引所自身が突然止めてしまうのでは、そんな国に恐ろしくて近づけなくなるだろう。 
 「官から民へ」のキャッチコピーの恐ろしさは、そこに「公」が抜けていることである。公とは英語ではパブリックと呼ばれ、私益や法律より優先されるという意味なのである。 
 この公の意識が日本には欠けているため、巷では自分の権利ばかりを主張するゴネ得が横行し、公僕の官僚も同様で公を忘れて自らの権限を守ることしか頭にない。当然責任などとるはずもない。東証も公の場としての市場という意識に欠けているので、誤発注の時だってまず自分たちの責任はどうなるのだと、鳩首会議をしている間に損失はふくらみ、市場の混乱が広がったのである。 
 ライブドアの経営陣に少しでも公という意識があれば、たとえ合法でも公共の良俗に照らしてみたらこれはどうかな、社会のルールには反しないかなと、一歩踏み止まって考えることぐらいはしたのではないだろうか。公共の電波を使っているテレビ局も、公の意識が薄い。尾道までTVのクルーを繰り出し、あたかも改革の旗手として持ち上げた同じ局が、今度は一転してヘリコプターまで飛ばして、容疑者の護送風景を中継している姿を見ると、こいつらには全く公の意識などないのではないか。普通の良識があればそう思うはずだがそうはならないのは公という考え方など全く欠けているからではないだろうか。 
 公は官よりも民よりも優先されるばき大切な基本であることを、いまいちど考え直して全ての制度や自らのあり方を改めるべき時だろう。・・・・・・これを他山の石という。