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プロフィール
三原淳雄
 

2006年04月28日
三原 淳雄

「学ぶ」と「考える」
 

 いまや日本の高校進学率は95%を超している。4〜50年前は40%前後だったのだから考えようでは大変な高学歴社会と言えるのだろう。多分世界一かも知れない。 
 その間世の中も大きく変わった。40年前は高校生だったが、当時の村立中学校(いまや歴史的な懐かしい村立である)から普通科高校へは約5%、農業や工業高校へ20〜30%、残りの多くの級友は中卒で世の中に出て行った。進学したくとも出来なかった級友の方が多かった。その分進学出来た連中は進学が叶わなかった友のことを思い、その分頑張らねばと感じていたし、また感謝の念も持っていた。「学ぶ」ことの有難さをしっかり「考えて」いたのである。インターネットなどもない時代だから、疑問に思うことがあれば自分で調べなければならなかった。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の損」とばかりに博学の友人を競って求めたものである。当然濃い友情もうまれたし一生の友にも恵まれた。有難いことである。 
 その我々の時代にくらべ、ほぼ全入となったいまの高校生たちは果たして幸せなのだろうか。 
 「いい大学に入り、いい企業に就職し、安泰な人生を送る」といった風潮が当り前となり、ただひたすら詰め込まれ、塾まで通って何か学んでいるのだろうが、学ぶ技術は習ってもどうも考えることを忘れてしまっているのではないだろうか。進学塾や偏差値ばかりが支配的な時代に必要なのは受験テクニック 
であり、もはや教養などは無用になってしまった感がある。人生を考え悩む、そのために本を読み自分で解決策を探すのは無駄、それよりは受験のための知識の吸収に忙しいのかも知れないが、考えることを忘れた人間はもはや動物と同じで自分中心の無味乾燥な思考しか出来なくなる。恐ろしいことだ。 
 子供が子供を殺し、子は親を、親は子を平気で殺したり出来るのも、何も考えずに感情で行動するからであろう。 
 この現象はマーケットも同じで、コンピューターの前に座り込んで、一日中株価の動きを追っかけ本能的にクリックしているような投資家たちは、多分何も考えていないはず。 
 インターネットの技術とチャートの読み方を学んだのは確かだろうが、考えて投資をしているとはとても思えないのである。 
 こんな投資家に狙われた企業の経営者はたまったものではあるまい。日替りで株主が変わっているのではIRなど空しい気になり、ライブドアのような事件が起きる。 
 「人間は考える葦である」とは有名なパスカルの言葉だが、考えない人間は単なる葦でしかない。今夜もライブドアの堀江元社長が仮釈放になるとかで、拘置所の空には十機ものヘリコブターが飛び、天下のNHKが30分以上も公共の電波を使って中継している姿を見ると、何も考えていないマスコミが、何も考えずに鵜呑みする国民をまた沢山生み出しているようでそぞろ心配である。 
 「われ思うに故にわれあり」ぐらいの気骨は持って欲しいものである。その後で「品格」と何のつく本でも読んで考えればいい。ベストセラーを読んだって考えなければそれは単なる話題のタネで終わるのがオチだろう。 
 何のために学校に行ったのか、ぜひそこから考えて欲しいのである。