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プロフィール
三原淳雄
 

2007年05月22日
三原 淳雄

コンプラ恐怖の腰抜け日本
 

 愛知県の長久手で起きたもとヤクザのジジイの立てこもり事件は、まるでいまの日本の縮図を見る思いがした。 
 優柔不断で自分の責任をとるどころか、責任逃れしか考えていない社会風潮のなかで亡くなった若い警察官が気の毒でならない。あたら若い命を失ってしまったにもかかわらず、日本の現状を反省もせずに、全ての罪をあの馬鹿な元ヤクザにかぶせて終わりにするのだろう。その責任をきっちり追求し検証しなければならない役目のメディアも、結局は御上ベッタリに加えて、これまで警官の発砲を非難してきたこともあって、もっぱら遺族の悲しさばかりを報じ、お涙ちょうだい式の報道でいかにも正義の味方面をする。 
いまの日本は本当に世界と伍して戦えるのだろうか。今度の事件だって、私がもしトップで判断を求められたら、警官が撃たれた時点でマスコミや世間が何を言おうと、射殺することを考えただろう。もとはと言えば家族の内輪もめである。それが一般市民や警官にまで銃を向けたのなら、犯人の人権など生易しいことを考える場合ではあるまい。人質救出が優先と言いながら、傷を負って倒れている同僚を日本中のテレビで晒し者にまでして、またその救出に更なる犠牲を払って、何で29時間も待たねばならないのだ。世界中の笑いものになるのは日本そのものではないのか。 
「起きて欲しくないことは起きない」なんて考えているから、いざことが起きるとこんな態たらくになる。人権もコンプラも時と場合によって柔軟に適用することだ。 
 狙撃手だっていただろう。それを猫撫で声でわざわざ敬語を使って自首をさせようなんて、馬鹿を甘やかすからこんなことになる。あの馬鹿には人権などないはずではないか。 
 必ずまた真似をする馬鹿が出てくるのがいまの日本ではないか。「馬鹿は死ななきゃなおらない」のではなかったか。 
 公の基盤たる警察のトップの判断がこんな有様だから、後は押して知るべしで、コンプラと単なる法令遵守と勘違いし、法律さえ守っていれば我が身は大丈夫みたいな風潮が日本中にはびこってしまい。トップからヒラまで法令遵守を隠れ蓑にして、責任が及ばないように、リスクが我が身にふりかからないようにとしか考えてない。つまり考えることを止めてしまったのがいまの日本であろう。 
 株式市場などその典型的な好例である。一部の馬鹿なハネ上がり経営者の出現をはやし、そこにいきなり検察が出て来て捕まったとたんに、今度は一転して全員が疑心暗鬼になり経営者の腰は引けるし、投資家も市場不信に凝り固まり、もっと怪し気な新興国の方へとカネは出てゆくばかり。法令遵守の前にまず常識があるだろう。 
 本来なら率先して国を護るはずの官僚たちも、ここは自分の身を守るためにはまず法令遵守と、民間をチェックすることにばかり血道を上げる。いまの生保など金融機関のスキャンダルについても、本来なら民間を摘発する前に自分たちの監督責任をしっかり検証する方が先ではないのか。ポケットの中までひっくり返すような検査をやっておきながら、もしそれでも見逃していたとしたら、まず責めるのは我が身ではないのか。しれが常識だろう。 
 「小の虫を殺して大の虫を生かす」とか。何がいま最も大切なのかを考えることだ。いまの日本で殺されるのは小の虫ばかりで、生かされたはずの大の虫が見当たらない。むしろ小の虫の方が大きな顔をしているのではないか。公僕とは国益のために働くもの、その意味をよく判ってないのではないか。 
  このままでは日本はコンプラを振り回す小役人や尻の穴の小さい経営者ばかりが栄えて国が滅びるのではないか。「小さな正論」はもういい、もっと常識の通用する国にすることだ。