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プロフィール
三原淳雄
 

2008年03月06日
三原 淳雄

食い逃げ世代の知事たち
 

税制改正騒ぎの度に聞こえてくるのは「金持ち優遇は怪しからん」「金持ちへの税率を上げろ」「法人税は下げるな」といった声だが、いまの税制を根本から変えてみてはどうだという声は聞こえてこないのは不思議である。今回のガソリン税を巡る暫定税率がその典型だが、他にも探すとおかしな税は山ほどある。 
 何よりもおかしいのは今回の暫定税率騒ぎに、各県の県知事が大挙して上京し、税を下げるなと大合唱していた姿である。 
 平日に、しかも多分公費で上京してきたうえに税をもっと取れと叫んでいるのだから、そんな暇があるのなら旅費節約でも考えたらどうだと突っ込みを入れたくなる。 
 英語ではTAX PAYERが税金を払う人だが、日本では税を納めると言っていること自体、まず本末転倒ではないだろうか。 
 国民は税を払いその代償として公のサービスを求めているのであり、何も田舎の道路のために収めさせて貰っているのではない。まず納税という言葉から改めて払税としてみてはどうだろう。そうすれば県知事たちも道路ではない、道路工事が欲しいだけと叫んでいる己の姿に気がつくのではないか。 
 あの東国原知事もおかしい。しきりに大分と宮崎の間に道がない。だから必要と声をあげているが、人口が少ないところに道を作ってどれだけの効用があるのか計算してみたのだろうか。高千穂峡などは不便だから神秘的なのであり、便利にしたら素通りされてしまうのではないだろうか。大分県出身だからよく判るが、宮崎が近くなったからとてさして効用があるとも思えない。 
 そんな需要が本当にあるのなら、いま走っている特急列車にもっと人が乗ってるはずだが、いつもがらがら。つまり人がいないからである。 
 あんなところに無理して道路を作るぐらいなら、高速道路とは言いながら駐車場になっている都市圏に道を造るのが筋だろう。先日道路先進県(何故か首相が多い)の山口県に行ったが、四通八通している近代的な道路を走っている車の数を容易に数えられたぐらい利用車は少ない。 
 作ってはみたがその後の維持費はどうするんだと思わず考え込まされてきた。 
 四国の高松にもその昔住んでいたことがある。確かに当時は霧が出ると連絡船が止まって新聞が来ないといった不便さはあったが、その不便が幸いして各社の支店が軒を連ね、支店長たちで夜も大賑わいしていたものだ。ところが橋がかかりインターネットの時代になった途端に、支店や営業所はどんどん閉鎖され、かつての支店長経済と呼ばれた高松の様相は一変してしまった。夜が全く寂しくなってしまったのである。 
 あのスイスほどの小さな島に、3本も橋を架けて一体何が残ったのか。岡山の児島市の惨状が好例だろう。メリットよりも地域にとってはデメリットになったのではないか。それを自分でよく知っているはずの県知事たちは、何のために平日をさぼって上京してきたのだろうか。きっと他県の知事との横並びの誘惑に勝てなかった、軸足も定まっていなかったと自らの不勉強を立証しに上京してきたのだろう。 
 情けないことだ。気骨も何もありゃしない。お勉強が出来て雄弁でも、気骨に欠ければそれはもはや指導者ではないことぐらい判りそうなものだが、コンクリート漬けにされた頭は考えることすら止めているのだろう。そのうち日本は道路の重みで沈んでしまうのではと心配である。 
 車の走らない道路はもう要らない。その分税金を下げてくれた方が、消費も活性化し、デフレも止まり株も上がって年金基金も増え、全員がハッピーになるはず、この理屈を知っていながら知らないふりをしている輩は、後世の孫たちからきっと「食い逃げしやがった」と、墓参りにも来て貰えなくなるのではないだろうか。