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プロフィール
三原淳雄
 

2008年06月13日
三原 淳雄

ひっくり返る世界
 

 長生きしていると善し悪しは別にして、様々な変化に巡り合う。人生82歳まで生きたとしても日数ではせいぜい三万日前後。 
 こう考えてみると長いようでも短いのが人生だが、同じ三万日でもいまの日本で長生きしているもと少年、いまジーさんたちは日本の長い歴史のなかで最も変化に恵まれた世代と言えるだろう。 
 子供時代は戦前の国民学校と呼ばれた小学校の低学年では神国日本、鬼畜米英と教わり、昭和一桁生まれの人たちは戦争に駆り出された。敗戦後今度は一転してマッカーサー万歳、侵略国家日本、同志ソ連などと教育され、紙不足で戦前の教科書を具合の悪い箇所は墨で黒々と消して使い、食糧不足で賞味期限なんて関係なく、喰えるものは何でも取り敢えず口に入れ飢えをしのいだものだ。気の毒なのはもと軍人で白眼視されるという極端な変わりようだった。そこで世界はひっくり返る経験をした。 
 貧しい家にあるのは裸電球とピーピー鳴るラジオぐらい。お爺さんは山に薪取り、お婆さんは川で洗濯が当たり前だった。 
 人生最初の五千日は食うや食わず、生命からがらの時代だった。よく生き延びたものだ。次の五千日の20代から30代は一転して目覚しい発展の時期となった。経済白書は「もはや戦後ではない」を高らかに謳いあげ「所得倍増論」の掛け声のもと、今日より明日は必ずよくなると信じて働いていれば、事実よくなっていった。貧しさが豊かさへと再び大変化である。 
 それでも当時ゴルフなどできるのはごく一部のトップ連中だけ。チンピラ社員はゴルフボールの値段を聞いただけでびっくりするほど高価だったし、だいいち生意気だとさせて貰えなかった。そして次の五千日は文字通り日本の時代となって円はどんどん高くなり「もはやアメリカに学ぶものはない」と豪語するような日本になった。独身女性たちは群れをなしてフランスやイタリーに出掛けてビトンやシャネルを買いまくり、ハワイなどは東京郡ハワイ区とまで言われたほどの勢いがあった。そしてバブルが弾けて再び自信喪失、落ち目の十年で人生最後のコースを巡ることになったのだが、たった三万日足らずでこれほどの経験が出来た日本人は過去にいなかったはずである。祖父の人生を見ても、日清、日露の戦争はあったにせよ、日常生活は相変わらずだっただろう。大地主と小作人の立場がひっくり返るような変化はなかったはずである。せいぜいランプが電燈になり、ラジオが家庭に入った程度の変化しかなかったのではないか。 
 ところが世の中とは厳しいもので人生最終ステージでやっと古希になったら、たちまち今度は後期高齢者入りよと、侮辱的な扱いとなって苛められているが、もともと国には税金をしこたま払ってやった割りには世話になった覚えはないし、むしろ敗戦後の満州で見棄てられたという目にあったのだから、馬鹿な政治家や役人のやることは期待もしていない。国とは冷たいもの。あてにするから失望するのだが人生最後にこれも再び味わうことになった。何とも有難い国である。 
 これからもせいぜい煙草でも吸い続けて健康を損ない(もちろん覚悟のうえ)早目に人生を切り上げて、健保の世話にならずに逝こう。これだけの変化を楽しめたのだから、もって瞑すべきだろう。 
 いまの日本人は少し甘え過ぎではないのだろうか。中国人のように国など全く信用せずに、自分の代で出来なければ子供の代、それでも駄目なら孫の代に豊かになって名を上げようぐらいのロングで人生を構えるといい。いまの人生でうまくいかなかったのなら、次の人生でうまくやることだ。目先の些事に目尻を吊り上げているから、今回の秋葉原のようなバカ者が出て来る。甘やかし過ぎるからバカになる。あいつも飛んでもない勘違いした価値感で育てられたのだろう。変化があるから人生は楽しいのである。