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プロフィール
三原淳雄
 

2009年04月03日
三原 淳雄

50年、思いつくまま
 

 馬齢を重ねていくにつれ時の流れのスピードは速くなる。5歳児にとっての1年と50歳での1年とでは、そのスピードは10倍の違いとなるらしい。振り返ってみても20歳台までは楽器や語学など、多方面に挑戦する気力も時間も充分あったような気がするが、歳を重ねるとそんな時間の余裕も持てずに1日が過ぎていく。 
 そして今年もはや4月、今年も親しくしている多根社長の「メガネの三城」の入社式に祝辞を述べに出掛けてきた。 
 いつものことだがフレッシュな若者を集団で目にすると、こちらまで若返るし、自分にもこんな時があったのだと改めて初心らしきものを振り返ってみたりもする。 
 その自分の入社式は何と恐ろしいことにもう50年前になってしまった。 
 50年前に麻生さんの言う「株屋というのは信用されない」という株屋に入り、母親から「とうとう家から株屋が出たか」とぼやかれたことを思い出した。 
 50年前の貧しい国が世界に冠たる豊かな国と言われるようになったのに、株屋という言葉がまだ世間から抜けていないのは何とも寂しいことだと、複雑な思いも交錯した今年の入社式だった。 
 三城の新入社員の皆さんにはまず「いまの世の中に欠けているのが言葉遣いと礼儀作法、そしてきりっとした身なり」それを身につけるだけで世間は何んてすばらしいと勝手に思ってくれるし、雇いたいと思う企業も多い有難い時代になっているのだから、それを忘れないように。それを忘れると年初の派遣村みたいなことになる。同じ日比谷公園にでも「鳩に餌をやらないで下さい」という立札の傍で、健気に自力で餌を探している鳩の方を見習って欲しいと檄を飛ばしてきた。 
 新入社員たちはさぞ面食らっただろう。 
 50年前の日本はまだ食うや食わずの時代であり、米の配給制度がやっとなくなったころだったから、いま時血色のいい元気な若者をみると「いい時代に生まれて良かったな、だから働け」と気合いが入ってしまうのは年寄りになったせいか?。もっと優しい歳の取り方を心掛けよう。そろそろ「売るのは喧嘩、買うのは顰蹙」人生を穏やかで和やかな人生に変えていこうと感じてきた(まだ無理か) 
 それはさておきいまニューヨークやロンドンの金融街では背広やネクタイで歩かないようにとお触れが出ているそうだ。高給取りの奴等が無茶苦茶なことをやって、そのおかげで俺たちはひどい目に遭った、とばかりに見知らぬ奴からぶん殴られるらしい。何とも物騒なことだ。 
 日本も金融危機のころは「月給を下げろ」とか金融関係者がずい分ひどい目に会わされたが、ここまでは乱暴ではない。日本はとかく好戦的だと外国では思われているが、連中の方がずい分野蛮で好戦的で身勝手ではないか。 
 日本なんて大人しいものだ(これはこれで困ったことだが) 
 その身勝手な欧米勢がまたぞろ自分たちに都合のいいように、日本叩き、日本封じ込めのために作った時価会計などを見直すらしい。散々な目に会わされた日本はこの際賠償金でも取ったらどうだ。 
 それはさておき見事なのは中国である。 
 ついこの前まではODAを嬉々として受け取っていた国が、いまや世界一の金融大国として堂々と通貨制度の見直しなどを提言したりしている。日本にもそんな時代もあったのだが、アジア通貨圏を持ち出した途端にクリントンに潰され、ついでにバブルまで潰れてしまったが、中国は流石に役者が違う。 
 折角ロンドンにまで出掛けたのなら麻生さんも、胡銀濤の爪の垢でも土産に貰ってくればよかった。そうすれば「株屋」発言で世界の失笑を買った自分に気付くだろうし、日々弱くなりつつある日本の国力をどうすれば強く出来るかについて、気の利いたキャッチフレーズぐらいは思いつくのではないだろうか。 
「強いアメリカの復活」というキャッチコピーで見事アメリカを復権させたレーガンの例もある。民主党も「国民の生活がいちばん」なんておぼろげな情けないような言葉ではなく、もっと具体的に「強い日本」的なスローガンを揚げることだ。 
 社会にでてから50年、その貧しかった50年前の日本の方がいまよりももっと気力があったと考えている人は多いだろう。「貧すれば鈍する」どころか、このままでは「貧していないのに鈍する」国になりそうだ。