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プロフィール
キャピタル・パートナーズ証券
三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2009年10月09日
三原 淳雄

パブリック インタレスト
 

 もう20年以上も前の話だが不動産業界の人たちと世界の町の景観を視察しようと、アメリカの名だたるリゾート地やヨーロパ各地を視察してまわった。 
 折から日本はバブルの真っ盛りとあって参加者の皆さんも血気盛んで、見るものなんでも買いたいし買えるではないかと、今になって振り返ると皆さん大変元気なとてもいい時代だった(いまは残念ながらほとんどの方が凋落してしまったが)。 
 旅の目的は調和の取れた整然とした街作りとコムュニティのありかたがテーマ。何かと刺激的な旅だったが、印象的だったのは何人もの参加者が『これは日本では出来ない』と言っていたことである。 
 何故駄目なのかについては様々な理由があったが、その出来ない理由のなかで全員が一致したのが住民のエゴ、つまりゴネ得の横行だった。ロンドン郊外で行われていた大規模な開発現場を視察した時も、この種のゴネ得に対して当局はどう対応しているのかについて日本側から質問が出たが、全員びっくり仰天したのが先方から返えってきたその答えである。 
 後になって判ったのだがもともと先方にはゴネ得的な考えは全く無いお国柄だから、質問そのものの意味がなかなか通じない。通訳を引き受けていた立場としても英語でゴネ得をどういえばいいのか、第一そんな英語を使ったこともないし、それでも何とか死苦八苦してやっと通じたら、返ってきた答えはたったひと言「JAIL]。 
 つまりごねるような人は監獄行きなのだそうだ。そういえばよその国では「パブリック」という言葉をよく聞く。「プライベート」に対して「パブリック」があるのだが、まず優先されるのが「パブリック」。つまり公共の利益が個人の利益より優先されるのが社会の掟なのだから、公聴会なども何回も開いてこの開発は公共の利益になると判断されたら、個人の利益はそれなりに認めながらもゴネ得は許さない。 
 それはそうだろう。わずか一人や二人のために道路や開発がストップすれば、公共に与える損害は有形無形を含めると莫大な金額となって跳ね返ってくる。『大儀』が優先されるのが正しい民主主義であることをみんなが良く知っている。だからいくら「ゴネ得」を説明してももともとそんな言葉すらないのだから、何を言っているのかよくわからなかったのである。 
 いま民主党政権は懸命になって予算の見直しをやっているが、驚いたのはダムや道路など着工から何十年も経っているのに、まだ揉めているものが多いことである。全部が全部ゴネ得でもないだろうし、それぞれのご事情もあるには違いないが、どうも日本には「パブリック」という概念そのものが欠けているか、希薄になっているフシもある。 
 漫画家が色鮮やかな家を建ててご近所と揉めていたが、もともと調和の取れた街作りなんて考えてもいないから、とっぴな家が建つのが判ってから騒ぎになる。町作りのしっかりしたコンセプトやコムュニティ作りといったパブリック インタレストの観点が全く無いから、住民もばらばら、隣は何をする人ぞと無関心になって個人のエゴが優先し、後から越してきたにも拘らず「公園の子供の声がうるさい」と文句をつけるなど、まるで世界は自分だけのためにあるとばかりに、いちゃもんをつける馬鹿が出てくる。 
 社会は自分だけのためにあるのではない。全員が気持ちよく暮らすためには多少のエゴは辛抱しルールを守らなければ社会そのものが失われてしまう。 
 日本は見た目には豊かな国に見えるだろうが、人心が荒んでいるのでは豊かどころか最貧国から笑われかねない国にしかなれまい。しかしちょっと譲れば狭い道路は歩道も完備した植木のある道路に変えられるし、ばらばらな外見の町並みも整然とした高級感のある眺めに変えられる。いまの日本はゴネている人のおかげで道が突然狭くなったり、異様なマンションが突然飛び出てきて日当たりが悪くなったり、私権を野放しにしていれば町の景観も人心も荒れる一方となる。 
 また広い敷地の立派な庭のあるお屋敷がある日突然ヒラ地になって、折角の庭や池は無くなりちまちました小さな家がぎっしり建ったりするのでは、社会にとっても決して好ましいことではあるまい。 
 政権も変わった折でもありこの際「パブリック インタレスト」を軸とした政策に舵を切れば、日本を大きく変えるチャンスになるはずである。豪邸をそのまま残すには相続のあり方を変えればいい。親の面倒を見た子にお屋敷は全部行くようにして、相続税は売却するまで待ってやればいいし、親の面倒も見ずに遺産を欲しがる子には民法を変えて要求できないようにすればすむ。 
 明らかに公共の利益を害しているゴネ得にはむしろ重税を課すとか、ちょっと知恵と勇気をだせば特に国のカネに頼らずとも民間で出来ることがいくらでもある。 
 夕張市の再建など税制をちょっと変えて『相続税特区』にし、そこに都市部から富裕層に相続税の恩典を与えて移住させれば、たちまち人口は増え関連のビジネスも出てくるから雇用も増える。政府のカネなど全く不要で町おこしが出来るし第一社会の役に立つ。 
 これから過疎化はますます進み財政難の市町村が沢山出てくるのだから、いちいち政府が面倒をみるわけにはいかないのだから、要は勇気と知恵を出せばいい。それには発想を変えることだ。もともと「パブリック」なんて意識が乏しい国なのだから、鳩山さんの好きな『友愛』こそ、もともとパブリックな思想なのだから、政権の軸足を「パブリックの利益」を優先するのが友愛の本来の意味であることを国民に訴え、手始めに金持ちが社会のために快くカネを使えるようにすることだ。 
 最近海外がらみの脱税が増えているが、これも政策が金持ちを苛めるからであり、気持ちよく日本で使えるような国になるほうが、苛めるよりよほど公共の利益になる結果に繋がるし、外国から金持ちもやってくるだろう。そのほうがよほど有益だし国民も安心して将来の生活設計も出来る。『友愛』とはバラ撒くことではない。それぐらい当の鳩山さんが知らないはずはないと淡い期待もしているのだが、さて一見金持ち優遇に見えるこの種の政策を実行し、真の「パブリック」とはこういうことだと国民の意識を変える気概があるかどうか、じっくりお手並みを拝見しよう。(無理だろうな、閣僚にスターリンみたいな人がいるし) 
 故中川元財務大臣は「このままではこの国は駄目になる」と最後までこの国の行方を案じておられたとか。公より私が先に大手を振って出て来るような国にしてしまったら、彼の心配が現実になるのは確かだろう。 
 しかし日本人の一人として「さすが日本人、最後はちゃんと出来る」とそれでも信じたい。本来は「衣食足って礼節を知る」はずだが「衣食足ってエゴはびこる」のは格好いいものではない。ガタガタ文句を言う前に格好の悪さをまず恥じるのが日本の美徳だったのだが、美徳ももはや死語か。