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プロフィール
三原淳雄
 

2010年01月22日
三原 淳雄

あゝ日航
 

 生まれて初めて飛行機に乗ったのは昭和37年、高松から大分までの富士航空だった。戦時中のDC3機みたいな飛行機で、尻を着いて止まるタイプ。スピードが上がるにつれ尻が上がってくる感覚は今でも覚えている。当時JALは幹線のみでなかなか乗る機会がなかったが、今で言うCAは良家の子女ばかり、「化石の一期、神話の十期、向こう横丁の30期」なんて戯言は、その後CAが大量に生まれたころの話であり、いまから50年近くも前の飛行機は、それはそれは高貴なものという印象だった。 
 パイロットになる夢は子供のころからもっていたので、大学2年終了後受験できる航空大学校に行こうと考えて、大学の教務課に履修証明を貰いに行ったのだが「国立から国立を受ける場合は退学届けを出してくれ」と言われ、もし航空大学校を落ちたら復学出来るのかと聞いたら何と、「普通は復学出来ますが、あなたの成績では教授会がダメと言うかも」と言われ泣く泣く断念した苦い思い出もある。 
 その後国際関係の仕事についてからは、それこそいまはもう無くなったPANAMやBOAC、サベナ、アリタリアなど、ずい分あちらこちらの飛行機に乗って仕事をしてきたが、なかでも当時のJALは何となく品があって、日本の顔として誇らしい思いをしつつ乗っていたにだが・・・・。 
 そのJALがこんなことになるなんて・・・・・。経営者に人を得ないとダメということがよく判かった。株式投資にも言えることだが、これからは経営者ですぞ。 

閑話休題

 今週は日頃仲良くして貰っている三菱UFJ証券の景気循環研究所所長の嶋中雄二さんのお話をじっくり聞くことが出来た。 
 彼は山ほどいるエコノミストの皆さんのなかでも珍しく本音を、しかも優しい口調で厳しく話すので大変有意義だし、大きく尊敬もしているのだが、今回のお話は「断ち切るべき二番底の亡霊」と、例によって優しい口調ではびこる二番底説に一喝を加えた。 
 要約すれば皆んな頑張ったおかげで先行指標も一致指数もは全て上向いているのに、こんな大切な時に二番底なんかに怯えているのはおかしい。ましてやそれを大声で叫んでいる連中はもっとおかしいのではないかと、胸のすくようなご託宣だった。 
 弱気からは何も生まれないというのが自説の身としては、わが意を得たりだったので興味があれば三菱UFJ証券のホームページをぜひご覧いただきたい。 

先に逝った友

 今週はまた本当に惜しい友人のお別れ会もあった。30年ほど前に竹村健一さんのご紹介で知り合った千葉トヨペットの勝又基夫さんが昨年末に66歳の若さで亡くなり、お別れの会が1月21日に行われた。 
 自分よりはるかに若い友人に先立たれるのは悲しいことであり、またこの俺が生き残っていてもいいのかと、改めて自分の立ち位置も考え直しているところである。 
 彼も若いころには相当にヤンチャをやったとかで妙に気が合った。彼の凄いところは自社の社員に「車屋が車の話をするのは当たり前、それに加えて何か自分なりの魅力をつけろ」と社員を教育していたことである。 
 そこで「三原さんの周りに面白い人がいたらぜひうちの支店長会議で話して貰いたい」と頼まれ、まだ売りだす前の小池百合子大臣や吉崎達彦さん、伊藤洋一さんなど、有名になりそうな方々を、まだ有名になる前に講師としてお願いし話ていただいたのだが、その後こうした方々がメジャーになるにつれ社員の方々の話のタネも増えていって勝又さんは大変喜んでくれた。 
 オーナー経営者としては極めてユニークで時代をしっかり先取り出来る方だった。 惜しい人を亡くしたものだ。 
 お別れの会にいらした方々の数もさることながら、トヨタの豊田章男社長が献花を終わった後も残って、参会者の方々としっかり話していらしたが、これも彼の人望の為せるところだろう。生き様とは何かを改めて教えられた。