三原淳雄の言いたい放題 mihara-atsuo.com
プロフィール
三原淳雄
 

2008年06月06日
三原 淳雄

さもしさが悲しい
 

 英語を小学校3年生から教えるようになるのだそうだが、年端もいかぬ子供に英語をどう教えるのだろう。 
 日本では語学なんて言うから外国語に対して身構えるが、所詮言葉は自分の意見を伝える手段、道具でしかない。 
 その道具を使って自分の考えをどう伝えるかが言葉の本来の使い方だとすれば、ベースになる日本語をしっかり習得させておかねばなるまい。 
 やたら軽薄な英語使いをよく見かけるが、発音や流暢さは二の次でいい。 
 まず自分が何者で何を伝えてどう相手とやり合うか、理解させ理解することが肝心なのである。英語を使う前に日本人ならやはり母国語をきっちり正しく使えたうえで、歴史や文学などにも精通していなければ、いくらうまく喋ったとしても中身が薄いのでは意味がない。そのことを痛感させられているのが、最近相次ぐ役人たちの「さもしさ」丸出しの言動である。タクシー居酒屋に公金でたかっていた官僚のなかには留学帰りや外国帰りもいるだろう。夜遅くまで働くほどの有能な人たちだから、英語など苦もなく使っている人もいるだろう。 
 にもかかわらず肝心な日本の官僚とは何というミッションやアイデンティティに欠け、さもしい行為に走るのは、日本語の基礎や教養が欠けているからである。 
 公金を使えるという権力に与りながら、その仕事の意義も忘れ、公金にはたかるものというさもしさが何ともやり切れない。 
 昔は士農工商という格差はあった。ただ同時に最高にランクされた武士たちには矜持(これも死語か)があり「武士は喰わねど高楊枝」と、貧しくても気位と気品をしっかり保つ努力をしたものである。 
 だからこそ民は彼らを敬ったのである。 
 昔の武士ならこんな「さもしい」所業は即刻クビか文字通り打ち首になったのではないか。役人は公僕と言われるようにパブリックな存在であり、だから公金でタクシーなどに乗れるのである。その公金は税金であり、タクシーの運転手からビールやリベートを貰うために使うなど、これは言語道断の所業でしかない。民間の企業ならこんなさもしいことをする社員の前途はない。場合によっては社名を汚した、業務上横領とされてクビだろう。こんな国で早々と英語を教え、なまじ英語が出来るために外務省や財務省に入り、そしてタクシー居酒屋でたかるような人間しかでてこないとしたら、これはもう漫画である。英語など急ぐことはない。耳を鍛えたければフォスターのきれいな歌でも丸暗記すればすむこと。その前に「さもしい」「卑しい』『卑怯』なことはするなと、まず正しい日本語と教養、気品を鍛えるのが先だろう。